CSRマガジン特別編

3.11から今日まで、そして2012年へ心を繋ぐ「東北グランマのクリスマスオーナメント」

被災地の人と“一緒に”仕事を創る

大指から戻り、製造元となったアバンティ社では超特急でクリスマスオーナメントのデザイン、残布の手配が始まった。後にプロジェクトに参加してくださった岩手県のお母さんたちは縫製業のプロだったが、大指のお母さんたちは針仕事自体が久しぶり。本当に“買っていただけるものが出来上がるのか”、何度もサンプルづくりをお願いし、厳しいチェックとやり直しもお願いしながら試行錯誤でプロジェクトは進んでいった。

一方で、10数人の大指のお母さんたちは9時(一番早い人は7時)から集まり、クリスマスオーナメント作りをスタートしていた。当初は想定していなかった事だが、大指では6月末に多くのお母さんが仮設住宅に移転し、オーナメントづくりは大切なコミュニテイの場となっていったそうだ。漁業の仕事は家ごとに独立して行うもので、一カ所に集まっての作業は初めてで慣れない針仕事に、当初は小さなイザコザもあったらしい。しかし、徐々にお母さんたち自身が相談しながらデザインを工夫するなど結束力も高まった。「モノ作りの力を感じたよ」と言われた頃から、徐々にプロジェクトが自分たちの思惑以上の力で動くのを感じ始めた。

本格的には8月から始まったオーナメントづくりで、大指のお母さんたちは、最終的に小5,000セット、25,000個以上のオーナメントを創り上げた。

今回のプロジェクトを振り返ると、かかわったお母さんたちが皆、“働くプライドを持ち続けてきた人たち”だったことが成功の大きな要因の一つだと強く感じる。最終的にオーナメントは大指の漁業に携わるお母さんたち、岩手県久慈市、陸前高田市の縫製業に携わってきたお母さんたちを中心に作られたが、10年、20年、30年とその道のプロとして地道に働いてきた方が多くを占めている。だからこそクリスマスという期限が決められた全く新しい仕事を完遂出来たのだと思う。

また、今回の仕事は被災地の中での協力者なしには実現しなかった。もともと内職の仕事には必ずまとめ役が必要だ。チームともだちメンバーは東京や大阪、神戸など首都圏在住者ばかり、手作業のオーナメントの細かい指示や製造元とのやりとりはできない。大指でまとめ役となった老川純子さんは娘さんが大指にお嫁に来たのをキッカケにご夫婦で東京から移住された方で、今回の震災では幸運にも家の全壊を免れた。「いわば、私自身もボランティアのつもりで」避難場所での手伝いに来ていたのをきっかけに、プロジェクトの途中からは現地でのとりまとめ全てをこなしてくださった。

大指グランマたち。「商品PRに写真を外に出しても良いですか?」と伺うと、「今回の地震で全国の皆さんに助けていただいた。一人ひとりにお礼が言えないので、せめて写真を通じてお礼を言いたい」と仰った。

 岩手県久慈市と陸前高田市では、被災した(株)久慈ソーイング、(株)シェリールにまとめ役となっていただき、外注のお母さんたちに内職を手配いただいた。全壊するしないにかかわらず、まとめ役の皆さん自身も被災者だ。しかし他の被災者のために自分たちが何かできるならばと、今回のプロジェクトに単なる仕事以上の気持ちで取り組んでくださったと思う。実際、7月からスタートし、文字通り“走りながら考えてきたプロジェクトだけに、全てが試行錯誤、まとめ役の皆さんにはたくさんのご苦労もおかけした。何度もコミュニケーションを図りながら、最初は支援する気持ちで始まったものが、プロジェクトが進むにつれて、メンバーの意識も、一緒に創り上げている仕事へと変わっていったと思う。 

久慈のグランマは縫製業10数年のベテランだ。

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