CSRマガジン特別編

3.11から今日まで、そして2012年へ心を繋ぐ「東北グランマのクリスマスオーナメント」

クリスマス直前、今回は東日本大震災を契機とした「東北グランマのクリスマスオーナメント」プロジェクトをご紹介する。震災後に集まった有志のグループが被災地のお母さんたちとのコラボレーションで実現したプロジェクトだ。被災地の仕事づくりをテーマにスタートした当プロジェクトは、運営スタッフの思惑を遥かに超えて、自然発生的に個人や企業の協力、そしてそれぞれが新しい被災地とのつながりを創り出した。プロジェクトにもかかわった当編集部から、今回のプロジェクトの経緯とクリスマスまでの不思議な力の結集を改めてレポートする。

アトレ吉祥寺店 クリスマスツリー

 始まりは、宮城県大指(おおざし)

プロジェクトのキッカケは偶然の積み重ねだった。震災直後、「自分たちも何かしなければ」と様々な業種の個人が集まった緩やかなネットワークを「チームともだち」と名付け、“被災地での仕事づくり”初ミーティングを行ったのは5月の連休明けだった。主要メンバー、オーガニックコットン専門メーカーの(株)アバンティ 渡邊智惠子社長から「オーガニックコットンの残布(ざんぷ・製品製造過程で出る余り布)を活用して、被災地の皆さんと仕事ができないかしら」のアイデアに、早速メンバーが被災地の自治体等に打診するが、そもそも何を作るか?1時間働いていくら?いつまでの仕事?何も決まっていないので話も進まない。

そんな中、震災直後から宮城県石巻市に個人でボランテイア支援に通っていた赤坂剛史・友紀夫妻からの「内職について話を聞きたいお母さんたちがいます」という情報で、仙台駅から車で約2時間、宮城県石巻市北上町十三浜大指(おおざし)にチームが残布を抱えて出かけたのが、震災から3ケ月以上たっていた6月26日(日)だった。

大指地域はわずか38世帯で8割以上の住民がワカメ、昆布、ホタテ、鮭等の漁業に従事している。避難所の大指林業者生活改善センターに到着すると、4-5人のお母さんたちが何と配給されたおにぎりに加え、手作りのおかずと味噌汁のお昼を用意していた。短期間に赤坂夫妻と地域の信頼関係が築かれていることを実感した瞬間だった。

大指では震災後、船は8割、養殖資材・養殖作業場はほぼ全壊の状態だった。

 畳敷きの部屋で、改めて車座になってお母さんたちとぎこちなく挨拶する。渡邊社長が語り始めた。「私はずっと仕事をしてきました。もしも、私が3ヶ月も仕事が出来なかったら、本当におかしくなる。皆さん、一緒に仕事しましょう」。すると、お母さんたちも少しずつ「震災まで、ずっと朝3時から何十年も仕事してきた」「船に乗らないだけで、男と同じに働いてきたんだよ」「何年もお針をやってない、こんなゴツイ手で出来るかねえ」。そして、段々と「お手玉ならできるね」「ミシンは流されたけど、針があるから手縫いなら」とアイデアが出始めた。この日の結論は「とにかく、やってみようかね」。

大指での初めてのミーティング風景

 「東北グランマのクリスマスオーナメント」という名前は大指からの帰りの車で、メンバーの小関さんの発案だった。後のお母さん方にはグランマ(グランドマザー/お祖母ちゃん)ではない方もいたのだが、この時にお会いした最年長70代の“むっちゃん”こと高橋睦子さんをはじめ、家を失いながら初対面の自分たちを歓待してくれたお母さん方の強さと暖かさに、「グランマ」という敬称がピッタリだと感じた。だから今回のプロジェクトでは東北の全てのお母さんたちという気持ちで、東北グランマと呼んでいる。

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