識者に聞く

グローバル化時代の企業の人権リスクとは?

ラギーの「ビジネスと人権に関する指導原則」について

人権リスクをマネジメントリスクととらえてはいけない

Q.大企業だけでなく、海外進出する中小企業も数多く存在します。

白石:中小企業の方からは中小企業に人権なんか関係ないですよ、人権の話は大企業にしたらどうですかと言われることがあります。一方で、近江商人の三方良しの考え方もそうですが、事業を通じて社会に貢献したいとお考えの方は多いと思います。ただ、自社の活動とラギー・レポートなど国際的な基準まで照らし合わせていないのが現状です。

大企業に限らず、企業が海外に進出した際に、特に雇用問題の人権問題は多く生じているようです。例えば、労働組合を作らせない、政府の力も借りて動きを封じるといったことですね。確かに、海外に進出した企業にとって、第一は現地の法律を遵守することです。労働組合を作らせない、これは必ずしも現地の法律に抵触しません。しかし、ISO26000、ラギーの指導原則、ILOの基準、その他の国際基準は、“現地の法律が定めていないから、守らなくて良い”とは言っていません。むしろ、“現地の法律がない、または現地の法律があっても十分ではない場合は国際基準に則って行動することが国際社会の期待である”と書かれています。

日本企業は他国に比べて進出先できちんと行動していると言う方も多いですが、そうでない場合も多々あります。やはり、今の国際社会の基準を知っていると知らないのでは大違いであると思います。

確かに、現実には難しいケースも多いでしょう。例えば人権に関してある国の法律は国際基準と必ずしも一致していません。ではその国に進出した企業は現地の法律等と国際基準との考え方の板挟みになりますね。しかしそれでも、「ラギー・レポート」では、「国際基準に目をつぶって、現地の法律に合わせることで人権を侵す問題が発生した場合は、その企業にも責任がある」としています。現地の法律を遵守していると胸をはっている日本企業が人権侵害に加担したとされてしまう可能性もあるのです。

Q.日本企業は、「グローバル社会では認識がないままに人権リスクを生じさせると大変なことになる、リスクヘッジの意味でも人権問題に取り組むべきだ」ということでしょうか。

白石:一つ誤解しないでいただきたいことがあります。「ラギー・レポート」では「人権リスクをマネジメントリスクとしてだけとらえてはいけません」と明示しています。つまり「人権問題を実践しなければ、われわれの不利益になる、だから人権問題に取り組みましょう」だけではいけないということです。

企業が人権リスクを考えるときには、“自分たちの不利益”ではなく、自らの企業活動によって“人権を侵される人たちがいる可能性がある”こと、まず被害をこうむる可能性がある相手の視点を忘れてはいけないということです。ISO26000でも『リスク』は同様の趣旨で書かれています。

この事については、残念ながら今まで企業の皆さんから「その意見に大賛成です」と言っていただいたことはありません。逆に企業の方からは「人権を企業活動の原則に取り入れると会社のためになりますよ、と言ってください。経営トップも納得して、すぐに取組みますよ」とよく言われます。

確かに、企業は利益によって成り立っている、これをしたら儲かるか、従業員のモチベーションが向上するかも重要でしょう、しかしそれが前面に出てしまい、本来の人権を護る、“企業にとってもまた、人を大切にすることが避けられない原則だ”という意識に至っていないように思います。

先日も赤字決算で窮地に立たされている企業が人権トレーニングの予定を中止しました。そんな事をしている場合じゃないと。これは、人権リスクをマネジメントリスクに完全にとりこんでしまったケースです。

Q.しかし日本企業だけでなく、海外企業も含めて企業は利益や自社のメリットをまず考えるのではありませんか?

白石:もちろん、欧米企業も儲かるか儲からないかを考えないわけではありません。しかし、実際に人権を大切にしているかどうかは別にして、根本にある文化、人権に対する理解度が違うように思います。

例えば日本は企業に全てを捧げる人が多いと昔から言われてきました。欧米の人も良く働くことを大切とする社会規範がありますが、少なくとも人間としての自分が壊れてしまうような働き方は避けようという気持ちがあります。欧米でも子どもがいても残業することがないことはありませんが、少なくとも日本のように「当たり前」という共通認識はありません。1年のうちに、1ケ月近くも休暇をとったりするのも当然の権利です。スイスで成長した私の子どもは、幼い頃に「TVを見すぎるな」と叱りましたら「1時間見ても良いと約束してもらった、私にはTVを見る権利がある」と口答えをしました。権利義務、契約の社会で育ったためでしょうか。
国民性や文化の差が、日本企業において人権への取り組みの差に表れているのかもしれません。日本では権利の主張が好ましくないと思われることがあることも関係していると思います。

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