識者に聞く

グローバル化時代の企業の人権リスクとは?

ラギーの「ビジネスと人権に関する指導原則」について

今や国際社会では人権問題は企業の社会的責任(CSR)における中核テーマだ。日本では人権というと何か特殊なテーマとしてとらえる人も未だ多いが、企業のあらゆる活動、製造・販売活動、労働・環境問題、全てに人権リスクは存在する。元国際連合人権高等弁務官事務所人権担当官で、現在はヒューライツ大阪(一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター)所長、白石 理氏に聞いた。

国際社会における「企業と人権」:2011年「ラギー・レポート」まで

Q.白石さんは2005年まで国連で長らく人権問題を担当され、現在はヒューライツ大阪所長として国内で人権問題の理解を促進する様々な活動をされています。特に近年は「企業と人権」を主要なテーマとされているそうですね。

ヒューライツ大阪 白石 理 所長

白石:2006年にヒューライツ大阪に参加して以降、自宅のあるスイス・ジュネーブと行き来しながら国内での活動を続けています。しかし、なかなか社会にメッセージが伝わりません。考えてみると日本人の2/3は企業に属して生活をしている、ならば企業が人権を理解し実践すれば、社会がもう少し変わるのではないかと感じ始めました。

また、2006年の時点で既に国連グローバル・コンパクト(注)が提唱されて6年が経過していたにもかかわらず、欧米のグローバル企業と日本企業とでは人権に対する感度に大きな違いを感じたことも、日本企業へのアプローチを積極的に行おうと考えた理由です。

注1:国連グローバル・コンパクト (The United Nations Global Compact)
1999年の世界経済フォーラムにおいて、コフィー・アナン国連事務総長(当時)が提唱したイニシアチブ。企業を中心とする様々な団体に「人権」「労働」「環境」「腐敗防止」の4分野・10原則の遵守を要請している。
http://www.ungcjn.org/gc/principles/index.html

Q.活動の一環で、2011年に発表されたラギー・レポートも和訳されました。このレポートは人権問題における企業の実践的な取り組み方をまとめたものですが、改めて「企業と人権」について、このレポートに至るまでの国際社会の歩みを教えてください。

白石:1999年にグローバル・コンパクトが提唱された後、2005年に国連事務総長特別代表に就任したハーバード大学のジョン・ラギー教授を中心に「企業と人権」に関する枠組みづくり、企業の社会的責任(CSR)として人権をどのようにとらえるべきかを考える新しい動きが始まりました。

2008年には「『保護、尊重、救済』枠組」(通称ラギー・フレームワーク)がまとめられ、そこには3つの基本的な考え方が述べられています。すなわち「国には人権を守る法的義務がある」、「企業は人権を尊重する責任がある」、責任というのは法的責任だけでなく、国際社会の期待に応える責任という意味ですね。そして3番目に「人権はどんなに守られようとしても“侵害されることは避けえない”。その際に救済する仕組みがなければならない。」、また「救済の仕組みは誰に対しても公平でなければいけない」とあります。

国連人権理事会に参加する各国代表もこの枠組に賛同し、さらに企業が人権を護る取組みを実践するための指針作りが進められました。そして2011年に発表されたのが、「ビジネスと人権に関する指導原則(Guiding Principles on Business and Human Rights)」(通称:ラギー・レポート)です。

「ラギー・レポート」は従来のように1人の人間が自分の考えをまとめたものではなく、マルチステークホルダー・アプローチで、多くの関係者へのヒアリングと討議を重ねて作成されたものです。つまり、政府関係者、NGO、学者、国際企業、地域社会を巻き込み、時には企業の工場を視察するなど現場の状況を把握し、世界各国で何十回も会議を重ねる、そうした過程を経て完成しました。

「ラギー・フレームワーク」「ラギー・レポート」は企業と人権に関する国際行動規範に大きな影響を与えています。2010年に制定されたISO 26000(社会的責任に関する国際規格、日本ではJISZ 26000)には「ラギー・フレームワーク」の基本的考え方が大幅に取り入れられました。またOECD(経済協力開発機構)による「多国籍企業行動指針」にも「ラギー・レポート」の内容が取り入れられ、2012年5月改訂版では新たに「人権」の章が加えられています。

「ラギー・レポート」和訳版およびダイジェスト版
http://www.hurights.or.jp/japan/aside/ruggie-framework/
ヒューライツ大阪ホームページにはサステナビリティ日本フォーラムとの協働による「ラギー・レポート」和訳版が掲載されている。同レポートでは「保護、尊重、救済」の枠組み、31の「原則」が整理され、人権デューディリジェンスの具体的手順も詳細に提示されている。
同サイトでは、英語原文27P、日本語30Pに及ぶ「ラギー・レポート」を多くの人に平易に理解してもらうため、ヒューライツ大阪がまとめたダイジェスト版(A4判4P、PDF)もダウンロードすることが出来る。

「ラギー・レポート」ダイジェスト版

Q.国際社会で企業と人権への取り組みが活発化してきたのは、企業が多国籍化したことが一番の理由ですか?

白石:企業のグローバル化が背景にあるのはもちろんですが、もう一つは、過去から先進国が開発途上国で行ってきた企業活動が必ずしも望ましいものではなかったという現実があると思います。

例えば、石油の採掘会社が現地で激しい環境汚染を引き起こす、現地の人を不法に労働させる、仮に企業サイドではきちんと現地法に則って企業活動を行っていたとしても、結果的に現地の人々が健康かつ幸せに生きる権利を奪う、つまりは人権を侵害してきた事例が数多くあります。その背景には、先進国企業や多くの国益が絡みつつ熾烈な資源開発競争が行われている、と同時に現地の政府や企業もまた、その競争の中で開発や利潤追求のために資源開発を推進しているという現実があります。

こうした多国籍企業の問題は古くは1960年代から萌芽はありました。そのため、以前から国連の中では多国籍企業悪者論といいますか、反資本主義的なアプローチで多国籍企業を法的に規制しようという動きもありました。しかし規制のための具体的な規則を作り、国連の人権委員会で承認を得ようとしても、参加する多くの先進国政府代表からは多国籍企業だけを悪者にして規制することに反対もあります。また、国際法において企業に国と同様に法的義務を課す前例はなく、合意が難しい。そこで別な方法論として企業に対する国際社会の期待と勧告をまとめたのが「ラギー・フレームワーク」や「ラギー・レポート」です。

もちろん「ラギー・レポート」を批判する人も存在します、「ラギー・レポートで企業が人権への取り組みを実践すると思うのは幻想だ。企業は義務でなければ行動しない、企業を従わせるには罰則を設けなければならない」と。しかし、前述のとおり罰則規定は国際社会では合意が得られない、国際社会は2つの考え方を揺れ動きながら、「企業と人権」の問題の解決方法を模索してきたと言えます。

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