東日本大震災から明日へ

宮城県大指の東北グランマそれぞれの復興

「40年間の培った歴史を誇りに、今できることをやっていく」
~武山健一さん、洋子さんご夫妻

地域でホタテの第一人者だった武山さんご一家も手探りで復興への道を探っている。武山さんの場合、家や5トンの船と機械・資材等を失ったからだけでなく、再スタートはより難しい事情があった。ワカメが浅瀬で種から半年で収穫できるのに対して、ホタテ貝は海の深くで育てて3年かかり、そもそもガレキなど「海の深くは状態が分からない」からだ。

「とりあえずワカメをやろうにも助成金は“現状復帰”が基本。うちは個人で長年ホタテがメインだから、大きな助成資金が出なくて」、小さな船と少量のワカメ種を購入し、2012年は少しだけ漁協に卸したと、武山洋子さんは持前の明るい口調で説明してくれた。

被災者向け融資メニューが十分に活用されない理由の一つは“情報が伝わらない”ことだ。当初最低300万円、ホタテ貝が育つ3年を考えると数千万円、有効な資金調達手段が見えないまま1年以上が経った。ようやく2012年夏に窓口で“3名の個人名があれば融資できますが期限が先週”と言われた。必死の訴えで期限を延ばし、ようやく審査にこぎつけたそうだ。

当初、迅速に動けなかった理由には、武山さんご夫婦が失った大きさもあったのだと思う。武山さんのご主人、健一さんがホタテ養殖をスタートしたのは今から40年前。当時、大指どころか宮城県で2番目にホタテ養殖を始めたそうだ。

「当時はワカメ養殖だけで食べていけない、東京に出稼ぎが当たり前。それでは結婚もできない、大指で1年を通じて仕事したい」そこで考えたのがホタテの養殖。青森から種を買ったが、すぐに死んでしまう。そこから試行錯誤が始まった。

青森と大指では水質も地形も異なる。どのぐらいの深さに、何個の種をどの間隔に沈めるのか、“出来るわけない”の周囲の声を他所に、夜中1時まで図面を書き、大指に合うホタテ養殖を研究した。必要な機械も全国から探した。甲斐あって養殖に成功すると、真水と海水が交わる大指は最高のホタテ貝がとれる漁場だった。

その後、健一さんは大指や近隣地域の人にも躊躇なくホタテ養殖のノウハウを教えた。「ウチだけ良くても駄目、皆で良いホタテを作ってブランドに」と思ったからだ。そして、いつしか大指でワカメを抜いて、ホタテが一番の稼ぎ頭となった。

ところが「ここ数年は海の状態が変わって、良いホタテがとれなくなって」悩んだ末、もう一度イチからと北海道から新しい種を購入。息子さんも4年間務めた自衛隊を辞めて「必死に海の仕事を覚えてね、その間、お父さんが入院したりして一人で頑張って、2011年初めに本当に良いホタテが出来たの。」ようやく夢が広がる、その時に地震と津波が何もかも奪ってしまった。

「それでも、ホタテをつくりたいですよ。息子には辞めても良いって言ったけど、少しずつでも海をやろうって。」と洋子さん。もちろん、武山家にはホタテ復興の難しさが誰よりも分かる。健一さんは「40年以上やっても海は毎日違う。台風でも海の底は変わる。生きている海で生きている良いホタテをつくるには、まずホタテの事を考えないと出来ない。」と語る。風評被害ももちろん心配だ。

そんな中、今、洋子さんは高台に持っていた土地に家を建て直そうと考えている。「やる気があっても年齢制限で融資を受けられない人もいる、仕事があっても土地がない人もいる。ウチは家も仕事も失ったけど土地があった。先祖から受け継いだ土地で、今出来ることをやろうと思って」と。もちろん、ここでも壁はある。公共機関の立て直しが優先される被災地では、建築資材や人手が不足しており、個人の家の立て直しにも時間がかかる。地力で復興しようとしても思うように前に進めない苦しさ、時間が経つほどに「確かに被災地では心のケアが必要だなあって」実感する所以だ。

一方で、漁協の補助金制度を通じて健一さんが培ったホタテ養殖のノウハウを教える方法も模索している。事業には資金だけでなく、技術やノウハウも不可欠だ。40年前にゼロからホタテ養殖を大指に根付かせた健一さん、そして今、大指にはゼロから復興に踏み出した息子さん若い漁業後継者、中堅の漁師さん、彼らを支える奥さんたちがいる。皆がそれぞれの立場で前を向いて出来ることをする、その輪が少しずつ重なり合って、十三浜大指の新しい大きなブランドが生まれることを、これからも応援し続けたい。

武山健一さん、洋子さんへの応援メッセージ等はコチラ

〒 986-0201 宮城県石巻市北上町十三浜字松ノ坂45-1 仮設3-3

大指の皆さんへの応援メッセージ等は、CSRマガジンを通じてもご送付いただけます。
ohtani@csr-magazine.com (担当者:大谷)

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