東日本大震災から明日へ

宮城県大指の東北グランマそれぞれの復興

2013年、日本有数のワカメやホタテ産地である宮城県石巻市大指(おおざし)では2~4月、復興への正念場となる震災から2度目の収穫期を迎える。2011年の震災直後、被災地の仕事づくりをテーマにスタートした「東北グランマのクリスマスオーナメント」プロジェクトのメンバーであった大指チームお母さんたちと家族、それぞれの今をレポートする。

「東北グランマのクリスマスオーナメント」紹介記事はコチラ


宮城県石巻市北上町大指(おおざし)は三陸海岸の宮城県石巻市沿岸にある13の浜、十三浜の一つ。海水と北上川の真水が混じり合う大指はワカメ、昆布、ホタテ等の日本有数の漁場。38世帯の8割以上が漁業に従事。2011年3月11日の東日本大震災で津波が直撃、船は8割、養殖資材・養殖作業場はほぼ全壊となるも、ほぼ全員が漁業継続をめざす。

「みんなの意欲、強さに、やっぱり自分たちも続けようと思った」
~丸正水産 佐々木純子さん

家族(ご両親と旦那様)で養殖を営む純子さんは、震災後を改めてこう振り返る。「大指地域は震災後1週間、道路が断絶、センターで炊き出しするなど、1ヶ月以上、食べて行くので必死の毎日、子どもたちが小学校に通えたのも5月連休明けでした」。少し落ち着くと「男の人はガレキの片付けなど仕事がありましたけれど、女の人は何をしたら良いか。そんな時オーナメントの内職を頂いて、何も考えず没頭できて本当によかったです。」

秋を過ぎると翌年に向けたワカメ・コンブの種付け時期となる。佐々木家は幸いにも家と船が残ったが、養殖業に必要な資材はもちろん、収穫直前のワカメ、コンブ、ホタテ自体を津波で失った。ワカメ等の養殖では3~6月に1年分を収穫・加工し、漁協販売専用の冷蔵庫に保管して販売する。3月の震災と津波は「その年の収入(ホタテの場合は4年分)を全部持っていった。」ことになる。

収入がないため、主婦として毎日の細かい出費をどうするか、来年より「まず、今年どうやって食べていくんだろう」、原発事故での将来における海への影響も不安だった。佐々木家でメインだったホタテ業はすぐの復興が難しく、漁業そのものを継続する決断が必要だった。

佐々木さん一家の背中を押したのは「家や船がなくなっても(漁業を)やろうっていう皆の意欲。強いなあって。考えてみれば海で食べてきた人間が他で何で食べていくのか。私たちにはまだ家も船もあるんだから、やらなければ申し訳ない」と。

まずは補助金でワカメ養殖に最低必要な資材購入を決めた。「審査結果が出る前にロープも届いて種付けも始めて、駄目だったらどうしようって(笑)」。2011年暮れに無事に審査が通り、「ようやく海が出来るかな」と思えたそうだ。

再スタートしたワカメ養殖だが、2012年の収穫量は通常の半分、2013年春が本格的な収穫となる。家族で営む丸正水産は人手が少なく、大指の朝は収穫期に向けて段々と早くなる。今日も朝4時、繁忙期には3時半から、佐々木さん家族は浜辺に出る。

「丸正水産」へのお問い合わせはコチラ

〒 986-0201 宮城県石巻市北上町十三浜字松ノ坂50-2
Tel/Fax.0225-66-2077 (佐々木 正さん)
漁協出荷が中心ですが、個人の方からの小口の注文も承ります。(写真右は佐々木純子さん)

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