CSRフラッシュ

仙台市「企業とボランティアの協働フォーラム」東北で生きる~企業の現場から見た東日本大震災

震災当事者の目線で継続する復興への取り組み、CSR活動 

東日本大震災から2年が経過した宮城県仙台市で、仙台市ボランティアセンター(社会福祉法人仙台市社会福祉協議会)が主催するCSRフォーラムが開催された。あの日、未曾有の大災害を経験した企業の現場がどのように決断し、行動したか・・・。仙台に根を下ろした活動を続ける各企業の担当者が、当事者として震災を振り返り、そして、これからを語った。 (CSRマガジン仙台スタッフ 藤森有紀)

1.仙台を拠点に90年。市民企業として地道に活動を続ける

キリンビール株式会社 仙台工場

避難場所として機能を果たした仙台工場 

2011年3月11日、仙台港に面して建つキリンビール仙台工場は、震度6強の激しい揺れに屋外に設置されていた巨大なビールタンク4基が横倒しになり、その後に襲った津波で完全に浸水した。副工場長の内田努さんいわく、「壊滅的被害、復旧困難」と本社に報告せざるを得ない惨状だった。そんな中、従業員と近隣から避難してきた住民合わせて481名は全員無事だった。2008年、仙台工場が仙台市と津波避難協定を結んで以来、近隣住民と合同で避難訓練をしてきた成果だった。全国展開の企業ながら、仙台を拠点とする事業を始めて90年、港地区に移ってから30年。仙台工場はすっかり仙台に根付いていた。

仙台の市民企業として───地域の防災拠点機能を強化

その後の復興活動でも、キリンビールグループとしての全社的な支援活動に加え、仙台工場は地域の一員としての役割を果たしてきた。

地域の防災拠点としての役割をより一層強固にするため、敷地内の海抜10m以上の地点を改めて調べ、10分以内に津波が来ても辿り着ける避難指定箇所を増やした。備蓄品も250名×1回分だったものを、700名×2回分に増やし、発災時に破壊された放送設備も増強、避難誘導を滞りなく行えるよう整えた。また、津波で壊滅的な被害を受けた近隣の小中学校に敷地内の体育館やグラウンドを開放し、スポーツイベントや部活動に使って貰った。近隣地区の一周忌合同法要にも体育館を開放、地域の人たちと犠牲者を悼んだ。津波で失われた海岸沿いの防災林の再生活動にも尽力している。

一つひとつの活動は決して派手ではないかもしれない。しかし地域に生きる企業としての姿勢が明確に表れている。本社か工場か、中央か地方か、大企業か中小か、そうした事に関係なく、市民企業としてできる事、すべき事を自ら考え、実行している。これこそが真の地域貢献ではないかと感じさせられた報告だった。

[写真左] 地震直後に屋上に避難する人々。この後、津波が押寄せ、天候は吹雪に。
[写真右] 震度6強の揺れにビールタンクが倒壊。津波で敷地内には様々な物が散乱した。
震災後、校庭が使用不能となった近隣小学校の運動会に、仙台工場のグラウンドを貸出した。

◎キリンビールグループの全社的な取組み「復興応援キリン絆プロジェクト」

http://www.kirin.co.jp/csr/kizuna/index.html 
キリンビールは工場独自の地域活動の他に、グループ全体としても支援を続けている。ビール1本に付き1円を復興支援に寄付する活動(3年間で60億円目標)の他、サッカーを通した子どもたちの心の支援や、農業・水産業復興の支援も行っている。

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