皆さんからのメッセージ
震災3年。個人の思いとチカラが積み重ねてきたもの。
- 仮設校舎から本校舎へ。震災との戦いは続く~石巻市立渡波小学校 教諭 木村 明子
- 地域に花を咲かせるための、“土”を作る~北いわて未来ラボ 地域コーディネーター 下平暢樹
- “ケンカゴマ”で全国に製造業ネットワークを広げる~有限会社ユニーク工業 専務取締役 羽広保志
- 東北の眠れる価値を引き出して伝える~NPO法人 ラブギャザリング 安藤 貴明、深尾尚子
- 被災地の皆さんからの学び~謙虚であること ~株式会社budori 代表 有村 正一
- <特別寄稿>支援の“素人”が地元に飛び込んだ3年間
~登内 芳也 岩手県北上市役所「地域・産業連携復興支援員 - <インタビュー>地域の心が揺れる今こそ、“外”の人間が役割を果たす時
~株式会社アバンテイ 代表取締役 渡邊智惠子
東北の眠れる価値を引き出して伝える
NPO法人 ラブギャザリング 安藤 貴明、深尾尚子
宮城県石巻市の漁師さんとともに漁業復興支援に取り組む。2013年からは石巻市に移住して活動中。
震災支援、ラブギャザリングのスタート
震災支援の始まりは「いったい自分に何ができるんだろう」と頭で考えながら、 目の前の人に出来ることを一歩一歩踏み出し続けてきた3年間でした。
2011年3月30日に社会起業大学の卒業生を中心とするメンバーが立ち上げた“ラブギャザリング”は、ガレキの撤去、泥出し、花壇の花植え、歌のイベントプレゼント、物資の配給等々のボランテイア活動グループとしてスタートし、現在NPO法人として宮城県石巻市の漁師さんとともに商品開発、直販サイトの運営、試食イベント等、漁業復興支援に取り組んでいます。
震災自体はとても辛い出来事に違いありません、その一方で私たちにとって「東北」という新しいふるさとが出来たり、今まで出会わなかった漁業に携わる皆さんや、石巻の皆さんにお会い出来て、いわば新しい親戚が出来た、不思議な3年でもあります。
こんなにたくさんの東北の方と心を通じあわせる事が出来たのも、東北の皆さんとのお付き合いでは、遠慮することがなかったからかなと思います。その根底には「何かしたい」という強い想いと、震災という非日常があり、だからこそ、日常では考えられない深い人間関係を構築してきたと思います。振り返ってみると、3.11以前は、人との心の距離を取り過ぎていた、そんな日常生活をずっと送ってきていたのかなと感じています。
3年を経て、地元で感じること
正直、復興までの道のりは、想像していたよりも、長く厳しいものです。
震災から3年を迎えるいま、一時避難者の方は被災3県合計でまだ26万人にも及ぶそうです。
人によっては、「復興公営住宅に入るまでには、あと5年はかかるだろう」と言っている方もいました。
ガレキこそ見なくなったものの、残っているのは何もなくなってしまった更地。
そして海の仕事には欠かせない護岸工事も終わっていません。
あまりそれが目立たないのは、人々が状況を受け入れ、それに適応して生きているからに過ぎないと思います。
石巻市に移住して1年。新たなスタート
2013年より石巻市に住み始め、早1年が経過しました。
土地に慣れるまで、またこれからの動き方を模索しているうちに時間がかかりましたが、やっとある程度の方向性は見えてきました。
他の土地から来た“ヨソモノ”の私たちだからこそ出来ることは「東北の眠れる価値を引き出して伝える事」だと思っています。
今後はボランティアでの支援ではなく、仕事として成り立つ様な事業を、中長期的に具体化させていきたいと思っています。
■ラブギャザリングホームページ
■「絶品生わかめしゃぶしゃぶ」期間限定販売中
http://www.tenite.jp/fs/tenite/tohoku/gd8
スーパーで見かける「生わかめ」が実は「湯通し塩蔵わかめ」とご存じですか?
北上川から流れ込むミネラル豊富な淡水と、外洋の新鮮な海水が混じり合う日本有数の漁場、宮城県石巻市十三浜の漁師グループ「浜十三」が自信を持ってお届けする本物の「生わかめ」だからこそ、しゃぶしゃぶにできる、味の違いは口にすればすぐに分かります。「生わかめ」の旬は1月下旬から3月末まで、ところが2月からの超大型の低気圧(大雪)で、十三浜でも収穫時期を迎えたわかめが養殖ロープから脱落する被害が発生しました。残った強くてたくましい貴重なわかめ達、絶品「生わかめしゃぶしゃぶ」セットを、ぜひご賞味ください。
東北の女性をつなぐ「福島のお母さん達と行く石巻」プロジェクト
被災地の皆さんからの学び~謙虚であること
株式会社budori 代表 有村 正一
ウエブマーケティングのノウハウを活かし、スクラム釜石、東北グランマの手仕事など、数々の東北復興応援プロジェクトに参画。
震災当初、被災地に通っているときに風景の変化に恐ろしい程のスピードを感じました。
行くたびに整理されるガレキ、修復される主要幹線道路、その脇の被災地を覆う草。
今、初めて来た人は少し前にそこにたくさんの暮らしがあったことは想像もつかないような野原が幾つも幾つも広がっています。
大地が揺れ、大きな波がすべてを奪っても、またそこに草で覆い尽くす自然という力。
この大きな自然という中で謙虚に生きなければならないと感じながらも、たくさんの便利を張り巡らせて、「忙しい人間」私たちが暮らしています。この3年間、人間という生きものの非力さ、私を含めた人間というものの愚かさも感じていました。
一方、そんな中でも「忙しい人間」私たち人間の素晴らしいところもあるのだとたくさん教えられました。
その中で忘れることの出来ない言葉にふれたいと思います。明治三陸津波の年に生まれ、昭和三陸津波の起こった年に亡くなった宮沢賢治を特集した岩手放送のドキュメンタリー番組。津波で流されてしまった神社の跡地にできた子供のための図書館「にじのライブラリー」で活動される荒木奏子さんの言葉です。
「『賢治がいうイーハトーブっていうのが、どういうものなのか震災直後に垣間見た気がする』って。それは誰かが歩いていたら声をかけたり、車で通りかかればみんなを乗せて走ったり、物を分けあったり。みんながお互いのことを思いあって、みんなで頑張ろうという世界。『雨ニモマケズ』で賢治が語っているようなことですよね」と語っておられました。
さらに「お互いに己を殺して一緒になるのではなく、それぞれを受け入れながら一つになっていく世界。個性をお互いに認めて尊重しあえたら、すてきな世界ができるんじゃないかなって思います」とお話しされていました。
謙虚であること。自然に対しても人に対しても。
それは人が月に行ける今の時代でも大事だと先人は教えてくれているように思います。
私も忙しいを口ぐせにせず、無関心という草を心の中でいっぱいにせぬよう。日々、心の整理をしたいと思います。また大きなことは出来ずとも小さな片隅でも照らせる努力を惜しまぬ人間になれるよう努力したいと、この大事な日に小さな一人の人間として誓います。
過去は変えられずとも過去の意味を変えられるような、そんな我々でありたいと思います。
それは亡くなった尊い人々や動物、たくさんの命のためにも。まだ苦しんでおられる北の皆さんの明日のためにも。
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