皆さんからのメッセージ

震災3年。個人の思いとチカラが積み重ねてきたもの。

2014年3月11日、東日本大震災から丸3年が経ち、そして4年目が始まる。 震災は国内の様々な個人の生活や生き方さえも変えた。地元東北で、被災地以外の地域で、または震災後に東北へ移住して、日本の様々な地域で自分なりのやり方で復興に取り組む多くの人たちがいる。ここでは、その一部の皆さんからのメッセージをご紹介する。個々の復興活動にご興味を持たれた方は、ぜひ直接に新たなつながりを持っていただきたい。 (順不同、随時更新中)


  1. 仮設校舎から本校舎へ。震災との戦いは続く~石巻市立渡波小学校 教諭 木村 明子
  2. 地域に花を咲かせるための、“土”を作る~北いわて未来ラボ 地域コーディネーター 下平暢樹
  3. “ケンカゴマ”で全国に製造業ネットワークを広げる~有限会社ユニーク工業 専務取締役 羽広保志
  4. 東北の眠れる価値を引き出して伝える~NPO法人 ラブギャザリング 安藤 貴明、深尾尚子
  5. 被災地の皆さんからの学び~謙虚であること ~株式会社budori 代表 有村 正一
  6. <特別寄稿>支援の“素人”が地元に飛び込んだ3年間
    ~登内 芳也 岩手県北上市役所「地域・産業連携復興支援員
  7. <インタビュー>地域の心が揺れる今こそ、“外”の人間が役割を果たす時
    ~株式会社アバンテイ 代表取締役 渡邊智惠子

仮設校舎から本校舎へ。震災との戦いは続く。

木村明子 石巻市立渡波小学校 教諭

子どもたちの日常を取り戻す日々の取り組みに加えて、
メルマガ「渡波小学校通信」等を通じて被災地から情報発信を続ける

工事中の本校舎前で。

3年間を振り返って

あっと言う間です。
まだまだ震災の中にいます。

日々、現地で感じること

おかげ様で、勤務校の改修工事が終わる日が近付き、離れた場所での仮設校舎暮らしに終止符を打つ日への見通しが付いてきました。

毎日のスクールバス通学に時間を取られるため,児童は朝夕思い切り遊ぶことをずっと制限されてきました。本校舎に戻ったら,児童には思い切り校庭で遊んでほしいです。

しかし、個人的には,海の近くにある本校舎に戻ることに不安を覚えます。
仮設校舎のある場所は、学区からひと山越えた海とは縁のない場所。
野鳥のさえずりが聞こえ、のどかな田園風景が広がる,自然いっぱいの環境で,震災を忘れさせてくれます。

家庭訪問や,月に数回スクールバス当番で山を越えて学区に足を運ぶと,否が応でも殺伐とした被災風景を目にします。3.11の様々な記憶が蘇り,自分にもPTSD反応があることを思い知らされます。

被災した児童や家庭、地域を支える仕事をする自分が、被災者の生傷が癒えない状態で、今後被災地にどっぷりと浸かって仕事をしていけるのか、正直なところ不安です。

これからのこと

3月23日に学校の引っ越しを控えております。
相当な作業になることを覚悟して臨みます。

引っ越し後は,気持ちを整えて勤務に当たることができるとよいのですが…
自分がどんな心境になるのか,予測できません。

命の惨劇が繰り広げられ,犠牲者も出た本校の現地再開についても,喜びばかりではありません。
本校舎に戻ると言っても,かつて本校舎で学んだ児童は新5・6年生のみ。
今後,児童にどんな変化が起こるのか、決して予断を許しません。

震災との戦いはまだ続きます。


地域に花を咲かせるための、“土”を作る。

NPO法人北いわて未来ラボ 地域コーディネーター 下平暢樹

岩手県洋野町出身、盛岡市在住。
岩手県庁に勤務する一方、震災以降、本当に地域のためになる“地域おこし”に取り組む

東日本大震災から丸3年になります。岩手県の行政職員としてボランティア活動で泥や瓦礫と悪戦苦闘しながら、「自分にはなにができるのか」と自らに問い続け、眠っても津波の夢で何度も夜中に目が覚める日々。そして、職場では平静を装いながら部屋に一人でいると流れてくる涙。あの日々を忘れることはないと思います。

震災からの復興が始まる中、私の転機となったのは、現在、私が所属するNPO法人北いわて未来ラボの立ち上げに誘われたことでした。「地域の30年後のためにがんばろう」という合言葉で動き始めたこのNPOへの参画は、「自分にはなにができるのか」という問いに対する答えを見つけるきっかけになりました。

時を同じくして、観光地再生プロジェクトのコーディネート活動や異業種交流会にアドバイザーとして参加しながら、「本当に地域のためになる活動とは何か」を考え、新聞等で紹介されていた地域おこしの記事を「自分もやりたい」という視点で読むのを止め、「この活動の本当の意味はなにか」「地域の活性化とはどういう状況なのか」という視点で読みました。

また、地域おこしに関する書籍を読み漁り、地域おこしの事例をひたすら集め、全国で地域おこしをしている方々と熱く議論する。 そんなことを2年ぐらい続け、自分なりの答えを見つけました。

地域づくりとは、華やかな活動ではなく、地道な活動を続けていくこと。例えるなら、「花火大会」ではなく「CO2の削減活動」に近いものだということ。
そして、自分がすべきことは「自分の好きな花を咲かせること」ではなく、「地域の人たちが喜ぶ色とりどりの花を咲かせる土を作ること」であること。
土を作るよりは花を咲かせる方が楽しいのは当然です。私も以前は花を咲かせることばかりを考えていました。でも、土がしっかりしていないと花はたくさん咲きません。

「広い畑に一輪の花を咲かせる」活動から「広い畑いっぱいに花を咲かせるための土を作る」活動へ。 仲間を増やしながら、将来について語り合いながら、これからの30年を一歩ずつ、ゆっくりでもいいのでひたすら前に進んで行きたいと思います。


“ケンカゴマ”で全国に製造業ネットワークを広げる

有限会社ユニーク工業 専務取締役 羽広保志

群馬県太田市在住。自動車部品等の製造会社としての強みを活かした復興支援に取り組む

自社製ケンガゴマを手にする羽広保志さん

2011年3月11日 東日本大震災をうけて、いてもたってもいられず、ビジネスパートナーの登内氏と動き出したのが復興支援「チームともだち」でした。震災直後はチームメンバー各人が自分に出来ることを探し、私は夏を迎えて被災地に支援者に声をかけて集めたTシャツや自動車を送るなどしてきました。しかし、その後、「チームともだち」の中で被災地での仕事づくりをテーマに被災地のお母さんたちと協働で「東北グランマのクリスマスオーナメント」の製造・販売プロジェクトが進むなか、(同じ製造業でも異なる分野だっただけに)改めて、本当に自分にできる支援はなんだろうか…と模索し始めました。

自分の会社のモノづくりという強みを活かして関われることはないだろうか…そんな事を考えている時に出会ったのが「製造業的復興支援プロジェクト」に取り組む皆さんでした。彼らは、“製造業だからできる被災地支援のカタチ”をテーマに、モノづくり技術を活かして仮設住宅の住みにくいところを改善し、被災地に貢献していました。ここだ!!自分の出来ることはここに違いない!! 扉を叩きました。  

その時に知り合ったメンバーと始めたのが 「全日本製造業コマ大戦」です。仕事以外の、その一方で自分たち製造業の技術を競うイベントでもある“コマ大戦”を通じて、東北のモノづくり仲間と、それをキッカケに日本中のモノづくり中小企業が連携していく!!製造業の連携は、被災地でのインフラ復旧、ネットワークを活かした仕事創りなど、様々な可能性を秘めています。自分たちの強みを活かすのは、ここに尽きる!と思っています。

“コマ大戦”で知り合う製造業仲間は非常に熱く、素晴らしい仲間達です。彼らと交流しネットワークを広げることで、必ずや起こるであろう次の大きな災害の復旧にもスクラムを組んで対応していきたいと思います。BCP(事業継続計画)なんて取り組みも、製造業ネットワークが鍵だと思っています。災害は必ず起こります。だからこそ、いかに早く復旧できるよう準備していくかが、これからの課題だと感じています。

●コマ大戦とは?

全国の中小製造業が自社の誇りを賭けて作成した“ケンカコマ”を持ち寄り、一対一で戦います。“ケンカコマ”の条件は直径20mm以下、あとは材質・重さ・形など一切問いませんが、一円玉より小さいコマづくりには、製造業のプロの技術が詰まっています。
・全日本製造業コマ大戦ホームページ 
 http://www.komataisen.com


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