CSRフラッシュ
あの日の出会いを、心の糧に
30周年を迎える「友情のレポーター」の取り組みからNPO法人 国境なき子どもたち(KnK)が、日本の子どもたちを世界各地に派遣して、現地の子どもたちと交流する「友情のレポーター(旧 子どもレポーター)」。今年で30周年を迎えます。元レポーターと現地で交流した当時の子どもたちが、その後、どのように成長し、このプロジェクトがどのような役割を果たしてきたかを振り返ってみました。[2025年8月26日公開]

総数70名の子どもたちが世界各地を訪れレポーターとなりました。
互いを“知る”“理解する”から始まった
未来に向けた交流
ヨルダン難民キャンプでの出会いから11年
千夏とマラックの往復書簡から
2014年の第29回「友情のレポーター」として、ヨルダンのザアタリ(シリア)難民キャンプを訪問した佐々木千夏さん(当時16歳)と、当時取材に応じてくれたマラックさん(当時13歳)の最近の手紙/往復書簡を紹介します。千夏さんは、2017年にもマラックさんに会いに行きました。

千夏さんからマラックさんへ
元気にしていますか?
私は日本で毎日一生懸命に働いています。
ときどきアラビア料理を食べに行くこともあるけれど、やっぱりあなたのお母さんの手料理には敵わないよ。本当に今まで食べた中で一番おいしかった! 今でも時々思い出します。
いつかまた、あなたに会いに行けたらいいな。
距離は遠くても、きっとまた会えると信じています。
半年ほど前、日本のテレビでシリアのニュースを見ました。画面を見ながら、あなたやあなたの友だちは大丈夫だろうかと、とても心配になりました。政治のことはあまり詳しくないけれど、あれから何か変わったのでしょうか。あなたや地域の人たちの暮らしが、少しでも良くなっていることを心から願っています。
ところで、将来はどんな仕事をしたいか決めましたか? あなたの知性と決断力があれば、きっとどんな夢でも叶えられると思います。あの困難な状況の中でも勉強を続ける姿を、私は本当に尊敬していました。あの環境で学校を卒業したというのは、それだけでも誇りに思うべき素晴らしいことです。
これからのあなたの人生が、幸せで満たされますように。もうすでにたくさんの困難を乗り越えてきたあなたには、きっと素敵な未来が待っているはず。どうか元気でいてね。そして、いつか必ずまた会いましょう。
あたたかな想いをこめて。 佐々木 千夏

マラックさんから千夏さんへ
こんにちは、私の美しいお姉さん
私たちの間には遠い距離があるけれど、あなたはいつも私の心の中に近くにいます。いつかまた会える日が来ることを、心から願っています。
実はね、私はいま料理がとても得意になったんです! ぜひヨルダンに来て、私の手料理を食べてほしいな。そして私は、あなたの国の「お寿司」を食べるのをすごく楽しみにしています。
シリアの状況についても、ようやく明るい話ができるようになりました。
2012年にシリアを離れてヨルダンのザアタリ難民キャンプで暮らすことになった頃は、本当に苦しい毎日でした。あなたが私を訪ねてくれたとき、あの生活の一部を経験したと思います。私たちは、祖国の危険から逃れるために、仕方なく避難生活を送っていたのです。
でも今、私たちの革命は勝利し、シリアは自由な国になりました。私は祖国に戻って、もう一度そこを築き直したいと強く願っています。
ただ、今すぐに帰ることはしません。まだ完全に安全とは言えず、治安や経済、水、電気…さまざまな面で安定するまでには、あと1年ほどはかかると思っています。
私はビジネス・マネジメントの学士号を取得し、2024年8月にヨルダンの大学を卒業しました。このことをとても誇りに思っています。今はキャンプの中にある団体で働いています。
正直に言えば、自分の持っている力や可能性はもっと大きいと感じています。もっと広い世界で働けたら…と願うこともありますが、今はこの場所でできる限り前向きに過ごしています。そして、いつも笑顔でいるようにしています。
何年もの時を経て、こうしてあなたが連絡をくれたこと、本当にうれしかった。あなたのおかげで、たくさんの美しい思い出がよみがえりました。
今度は、一緒に新しい思い出をつくれたらいいな。
心からの愛をこめて。 マラック

千夏さんからマラックさんへ
マラック、素敵なメッセージをありがとう。
あなたがそんなに料理上手だなんて知らなかったよ! ヨルダンを訪れる理由がまたひとつ増えました。あなたの手料理、ぜひ食べてみたいな。日本ではお寿司はどこでも食べられますが、私の故郷は海の近くなので、そこのお寿司は特に新鮮でおいしいです。いつかぜひ食べてもらいたいですね。あの頃のキャンプでのあなたの暮らしを思うと、本当に心が痛みます。
あなたが耐えてきたこと、そしてそのような困難な状況でもがんばり続けた強さを深く尊敬しています。
そして、ようやくシリアに希望が見え始めたことを聞いて、とてもうれしく思いました。時間はかかるかもしれないけれど、きっと少しずつ良くなっていくと信じています。
その時が来たら、あなたの美しい国を案内してほしいな。
今、あなたがキャンプで働いていることは本当に素晴らしいことだと思います。きっと、多くの子どもたちにとって、あなたの強さと努力は大きな励ましになっているはず。
あなたは本当にたくさんのことを乗り越えてきたし、その力はきっと未来につながっていくと信じています。
あなたには、たくさんの幸せがふさわしい。そしてきっと、それはあなたのもとにやってくるはずです。いつもあなたのことを想い、遠くから応援しています。 佐々木 千夏

カンボジアでの交流から22年
ナツキさんとロウさんの往復書簡から
2003年8月に行われた第17回「友情のレポーター」。カンボジアのバッタンバンにある自立支援施設「若者の家」を訪問した安田菜津紀さん(当時16歳)と、当時取材に応じてくれたロウさん(当時15歳)との往復書簡を紹介します。

菜津紀さんからロウさんへ
ロウへ
久しぶり、ナツキです。最後に会ったのは数年前、カンボジアの観光都市、シエムリアップで、KnK「若者の家」の卒業生たち数人と食事を囲んだときだったでしょうか。時折、Facebookで近況は見ていますが、元気に過ごしていますか?
あなたと最初に会ったのはもう22年も前のことです。けれども今も目を閉じれば、当時一緒に過ごした日々が昨日のことのように浮かびます。私はカンボジアの言葉が分からず、ジェスチャーを駆使してのコミュニケーションでしたが、それでも「あなたのことをもっと知りたい」と思えば、心は通じ合うのだと教えてもらいました。
ただ、あなたが経験した貧困や労働など、過酷な日々について、通訳の方の言葉を介してしか聞けないことを、もどかしく思っていました。
その後、私はフォトジャーナリストとなり、カンボジアであなたと再会しましたが、あなたは猛勉強の末、ドイツ語、英語などを流ちょうに話すガイドとして活躍していましたね。その時に、あなたはこんなことを語ってくれました。
「ねえ、覚えてる?初めて会ったとき、ぼくは英語も日本語も分からなかったから、身振り手振りで伝えるしかなかったよね。だから“いつか菜津紀と通訳なしで、直接話せるようになるんだ”って約束したんだ」。
その夢、叶ったよね、と笑い合えたことは、私にとってのかけがえのない思い出です。そこからまた、10年以上の月日が経ちました。今、あなたが抱いている夢は、何ですか?
カンボジアよりはちょっぴり涼しい東京より。 ナツキ

ロウさんから菜津紀さんへ
僕の友だち、ナツキへ
手紙を本当にありがとう。僕らの友情は22年にわたるけれど、初めてあったのがまるで昨日のことのようです。時が経つのは本当に早いものですね。
連絡を取り続けてくれて、心より感謝しています。日々が過ぎる中で、僕らは成長し、より良い人生を送るようになりました。小さな女の子と男の子だったふたり、今ではあなたはプロのフォトジャーナリストです。一方、僕はツアーガイドをしています。
コロナ禍は誰もが大変な時期でした。特に、シエムリアップのような観光客を相手にする仕事をしている人々は(自分を含め)とても苦労しました。僕はトゥクトゥクのドライバーをしながら一晩中働き、日中は働きに出た妻と交代し子どもたちの面倒を見る生活を送っていました。トゥクトゥクに乗って食品を売ったし、毎週日曜日には魚釣りに出かけました。
トゥクトゥクは、「若者の家」に住んでいた頃お世話になったスタッフ(当時)からゆずってもらい、毎月100ドルずつ返して全額支払い終えることができました。コロナ禍当時、親身になってサポートしてくれる方がいて、僕は本当にラッキーだったと思います。
現在は状況も良くなり、元のように働き収入を得ています。子どもたちを学校に通わせなきゃならないしね。ナツキも知っているように、僕には今、3人の娘がいます。長女は9歳、次女は8歳、末っ子は6歳になりました。
シエムリアップには、ヴァンナ、ラカナ、サムーン、ヴッなど、「若者の家」で一緒に育った友だちも住んでいます。兄弟のように親しいヴッとは、すごく近くに暮らしています。お元気で。 ロウ

菜津紀さんからロウさんへ
ロウへ
お返事ありがとう。
世界中で新型コロナウイルスの感染が拡大していた頃、カンボジアに行くこともできず、もどかしい思いを抱いていましたが、観光の街で働いていたあなたはどれだけ過酷な日々を過ごしていたかと、手紙を読みながら改めて想像しました。
あなたからの手紙を受け取る直前に、隣国タイとカンボジアの間で武力衝突が起きたという報道が飛び込んできました。
すぐにあなたや、あなたの家族、娘さんたちのことが浮かびました。この戦火は拡大しないだろうか、あなたの暮らす街にまで及ばないだろうか、とはらはらしながらニュースを追っています。
そう、あなたがいるからこそ、私にとってカンボジアは、「遠く離れた地」というぼんやりした存在ではなく、「私の友人が暮らしている場所」として、いつも心の近くに感じているのです。
あなたやご家族、そして「若者の家」でともに過ごした兄弟のような友人たちの日々が、どうかこれからも穏やかで幸せなものでありますように。
いつかあなたやご家族と一緒に、カンボジアの鍋を囲みながら、たわいもない話で笑い合えることを願って。 ナツキ

※本手紙は、本人の同意を得て一部表現を調整し掲載しています。
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