CSRフラッシュ

激動する世界にこそ外交の力を

各国大使館員日本語スピーチコンテスト2023

ウクライナや中東における紛争で、外交の力があらためて試されています。現在、わが国は世界195か国を承認し、うち157か国が日本国内に大使館を設けています(2023年3月末)。このほど26回目を数える「各国大使館員日本語スピーチコンテスト」が東京・赤坂で開催。10か国12名が日本語で日頃の思いを語りました。受賞者5人のスピーチをお届けします。(2023年12月5日(火)公開)

授賞式のあとで壇上に並んだ受賞者と参加者のみなさん (全員ではありません)

外務大臣賞「エマ」


ハンガリー大使館 バグディ・トーツ・マルセル

外務省海外広報課課長から外務大臣賞を受けるバグディ・トーツ・マルセルさん(右)

信仰は生活に不可欠な要素です。信仰といえば宗教や迷信だけと思いがちですが、信じることは暮らしのいたるところに織り込まれています。たとえば横断歩道を渡れるかどうかが信じられなかったら、あなたはいつまでも道路の片側にいるしかありません。信仰がなければ世界は1か所に静止することになるでしょう。

昔からそう考えていたわけではありません。反抗期だった十代の頃は、信仰は生や死といった未知の恐怖から人々を紛らわせるものであり、宗教団体は人々の不安をあおり、善意をだまし取る集団だと考えていました。これは大きな間違いでした。

信仰は多層的な概念です。高校時代の終わり頃から、私はプラトンや孔子からキルケゴールまで哲学の本を読み漁りました。その結果、信仰は彼らが経験した現実を表現していると思いました。あなたの世界はあなたが信じているものなのです。哲学をとおして信仰の重要性を再認識するととともに、信仰の基礎となる儀式についても考えが変わりました。

それまでは神様へのお祈り、お守り、十字架などのスピリチュアな道具の使用は無駄な妄想だと考えていましたが、いまでは現実を生みだす力をもっている自分と世界の約束ごとだと思うようになりました。

妻と私は、日本に引っ越した何カ月かあとに、子宝に恵まれることを祈願するため、神社に参拝しました。心の奥底にある願いを「絵馬」に書き、聖なる木に掛けて深く瞑想し、神社に供え物をして家に帰りました。

1カ月後、妻の妊娠が判明しました。つい最近、子どもは女の子だと分かり、名前についても考え始めました。二人が気にいった名前は「エマ」。絵馬で祈ったのも運命だと考えました。

この子は、私たちの信仰、希望、愛の化身です。漢字では「恵真(えま)」にしようと思っています。なぜなら彼女は私たちにとって真(まこと)の恵みなのです。

世界には多くの混乱、苦しみ、怒りがあり、それらがさらに多くの悲しみ、紛争を引き起こしています。解決する唯一の方法は、すべての人々が信仰、つまり信じるということをもって行動し、心に希望を抱いて、互いに愛することです。みなさんの日常が信仰、愛と希望に満たされることを祈っています。


文部科学大臣賞「Z世代の私が日本について思うこと」


中華人民共和国大使館 黄 宇宏(コウ・ウコウ)

私は90年代後半の生まれで、いわゆるZ世代の一員です。この世代は中国でも日本でも「何を考えているのか分からない」と言われています。今日はこの場を借りて私自身が何を考えているのかお話します。

私は日本に来てまだ1年も経ちません。大学のときに日本語の勉強を始めました。最初に日本語を教えてくれた先生は30年前に訪ねた日本の話をよくしてくれました。高層ビルが連なる丸の内や猛スピードで走る新幹線に驚いたようです。その後、私も日本の土を踏むことになり、感動も驚きもありましたが、30年前の先生とは別の視点からでした。

私は物心がついた頃から貧困と無縁の生活を送りました。中学生になると中国は世界第2位の経済大国に成長しました。中国でも高層ビルを目にし、気軽に飛行機や新幹線を利用できるようになりました。

私が見る日本は先進国の華やかさだけではありません。整備されたインフラ、大都市の町並みなどよりも、私はどこにでもあるコンビニや自販機、冬なのに半ズボン姿の小学生、静かすぎる電車などが驚きでした。私は日常の根底にある日本ならではの文化、生活に興味が湧きました。                   

私は2019年に東京大学に半年間留学し、そのとき重要な気づきを得ることができました。バドミントンのサークルに入ったのですが、幼い頃からバドミントン一筋という学生が多いのに疑問を覚えました。私はひとつを極めるよりも、バドミントン、水泳、テニスと少しずつかじるタイプです。中国人はいろいろなスキルを身に着けようとする傾向があります。これは大学の勉強にも当てはまります。日本人の学生はある分野に絞って努力を続け、地道に深掘りしていくのに対し、中国人の学生は幅広い分野を網羅する傾向があります。

国際的には勤勉のイメージで知られる日本人と中国人ですが、その姿は異なります。物事を極めるのが得意な日本人と、幅広い分野を俯瞰して横断する能力に長けた中国人。この両者が力を合わせたらどれほどの相乗効果が生まれるでしょうか。大学のゼミでは両国の学生が協力して深みのある斬新なレポートを何本も出しています。両国が協力すれば、想像をはるかに超える成果が生まれるはずです。


八木通商賞「心をつなぐ劇場」


ウズベキスタン共和国大使館 ファヒリディン・エルガシェフ

6,000キロも離れているウズベキスタンに日本人が建てたナボイ劇場があるのをご存じでしょうか。先の大戦が終わった1945年に、捕虜となった日本兵が鉄道で送られてきて、戦争で工事が中断していたタシケントの劇場工事に従事しました。当時24歳だった永田行夫隊長をはじめとした457名の日本人です。

永田隊長は「全員を日本に帰すこと」と「手掛けた劇場を完成度の高い建物にしたい」と考えていました。捕虜たちの生活は厳しく、食べ物も建設時間もわずかしか与えられませんでした。それでも勤勉に心を込めて働く日本人の姿を見て、ウズベク人は感動し、ご飯などの差し入れをしました。

ナボイ劇場は2年間で完成し、建設に携わったほぼすべての日本人が無事帰国することができました。

それから19年後の1966年にタシケントで大地震が起きました。町の建物の多くが壊れたものの、日本人がつくったナボイ劇場は残りました。それ以来、ウズベキスタンでは「日本人はどこでもしっかり仕事をする」と伝説になりました。

私が日本語を学び始めたのは大学1年生のときでした。ひらがな、カタカナ、漢字を学ぶのは大変でしたが、当時、ナボイ劇場の近くに住んでいたおばあさんが、「日本語を勉強するなら、日本人の心、気持ち、価値観も勉強したら」とアドバイスをくれました。

サッカーが大好きな私は、香川真司選手や本田圭佑選手は知っていましたが、それから日本の歴史を学ぶと同時に、NHKの『プロジェクトⅩ』という番組を見て、どこにいてもどんな状況でも最後まで頑張るのが日本人だと知りました。だからこそ日本は先の大戦後も復興したのだと思います。

日本のことをもっと知りたいという思いが通じて、その後、私は東京外国語大学の国費留学生になりました。さらにウズベキスタン共和国の外務省で4年間の経験を積んだあと、去年の9月からウズベキスタン共和国の大使館で働いています。

私たちが大したことないと思う事柄も、いつか大きな役割が果たすことがあるはずです。私は私たちの素晴らしい国ウズベキスタン共和国と、日本人がつくったナボイ劇場についてこれからも紹介していこうと思います。


敢闘賞「文化の魅力」


ハンガリー大使館 コバーチ・エメシェ

敢闘賞を受ける民族衣装のコバーチ・エメシェさん(右)

次世代に文化をどう伝えたらよいか考えたことがありますか。若い人たちの中には伝統文化を知らなかったり、全く興味を持っていない人もいます。文化の価値を次世代に引き継ぎ、伝統文化を守ることは、いまの私たちの仕事です。私の両親は民族文化を知ることが大切だと考え、7歳の私に民族ダンスを習わせました。この経験から民族文化は私の一部になり、今日のような特別の日には喜んで民族衣装を身に着けたくなります。

子どもの頃、私は周りの誰もが民族文化を知っているのだと思っていました。大人になるとそうではないと気づきました。こんなきれいな衣装なのに、着るのが恥ずかしいという人にも出会いました。文化を知る努力をしないと、文化はどんどん失われていきます。

日本に来て、日本の若い人たちは着物や浴衣を着る機会が多いと気づきました。夏祭り、花火大会、卒業式、結婚式……みんな喜んで着物を着ています。ハンガリーではこのような機会はほとんどありません。一度も民族衣装を身に着けた経験のない人もいます。

大使館で文化担当として働き始め、考えさせられた出来事がありました。私は同僚の10歳の娘のために、いま着ている衣装を貸しました。インターナショナルスクールに通うその子は、文化祭でこの衣装で参加しました。彼女の衣装は校長先生が選ぶベスト10の衣装に選ばれ、写真を撮られ、新聞にも載りました。

その子は家に帰って母親に「今日はみんなから注目された」「まるでお姫様のようだった」と語りました。さらに自分用の衣装も買ってほしいとお母さんに言いました。

その子にとって自分たちの民族衣装をみんなに見せられる特別な日になりました。

それは文化の魅力だと思います。自分の国の文化を誇りと思えたのです。

日本の皆さんも着物を着ると同僚の娘と同じ気持ちになるのだと思います。その特別さが伝われば、文化は忘れられることなく、永遠に生き延び、守られることでしょう。私たちは次世代のために文化と出会える機会をもっとつくるべきです。


審査委員特別賞「ファン・ゴッホ、浮世絵、そしてピカチュー」


オランダ大使館 テオ・ペータス

ゴッホと浮世絵、そしてピカチューには共通点があります。

ゴッホが生きた19世紀後半、日本の美術はジャパニズムとして欧州で大きな人気がありました。日本の美意識に魅了されたゴッホは、何百枚もの浮世絵を持っていました。彼の作品は浮世絵から強い影響を受けました。作品にも日本の美意識が反映されています。

日本の皆さまもゴッホが大好きです。日本の観光客はアムステルダムにあるゴッホ美術館に大勢訪れています。時代と場所を越えて、日本人は磁石に引き寄せられるようにゴッホの作品にひきつけられています。まさに芸術の力です。

ピカチューについてはどうでしょう。最近、ゴッホ美術館でアートと縁のない若者を呼び込むため、素晴らしいアイデアを思いつきました。帽子をかぶったゴッホの自画像にピカチューの顔を載せたのです。有名な「ひまわり」にもポケモンを入れました。美術館はこのような作品を6枚製作し、入館者に限定のポケモンカードが無料でもらえるようにしました。反響は想像以上でした。長い列をつくって争いが起きるほどでした。大金で取引されたケースもありました。たくさんの人が押し寄せたため、残念ながら、ポケモンカードの配布は中止となりました。

この話をしたのは、ソフトパワーについて話したかったからです。ソフトバワーとは、芸術や美術で人を引き付け、インスパイアさせ、結びつける力です。文化、時代、国境を越えて、日本の浮世絵に魅了されたゴッホ。ゴッホの作品を観るためにオランダに訪れる日本人。ピカチュー化されたゴッホの作品を観るために美術館に訪れた若者たち。すべてがソフトパワーです。これこそがゴッホと浮世絵、そしてピカチューに共通するものなのです。

いま、世界を見渡すと紛争で軍事力などのハードパーワーが幅を利かせています。日本とオランダには世界に貢献できるソフトパワーがあふれています。外交官である私たちはソフトパワーをもっと活用しなければなりません。

ゴッホ美術館の開館50周年を記念した展示物から。
写真はテオ・ペータスさんがスピーチの中で使ったもの。

※受賞者のスピーチは、当日話された内容をもとに当編集部で要約したため、一部内容に変更があることをご理解ください。


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