CSRフラッシュ

あの能登で原発が動いていたら⁈

能登半島地震がつきつけた原発立地の危うさ

能登半島地震から18日目。原子力市民委員会が緊急オンラインシンポジウムを開催した。最大震度7を記録した志賀町に立地する北陸電力志賀原発で、外部電源の一部喪失や核燃料プールの水漏れなど、いくつもの損傷が報告されたからだ。原発は運転停止中とあって、最悪の事態は避けられたが、志賀原発以北には約7万人もの住民が暮らしており、半島における避難・救援の困難さが浮き彫りになっている。(2024年1月29日(月)公開)

最大震度6強が続く中で孤立村落に向かう(石川県輪島市で)
1月6日の「日テレNEWS」から

群発地震が続く中で、原発の安全は担保できるのか

「テレビを見ていないで逃げて」「家に戻らないで」。元旦に起きた能登半島地震では、地震発災時のNHKアナウンサーの絶叫が話題となりました。被災地では防災無線が損傷するとともに、いまだに水道などの復旧にメドが立っていません。

過疎化が進む能登地方は、早くから原発の適地とされてきました。1988年に能登半島の首根っこ羽咋郡志賀町に北陸電力が志賀原発 1号機を着工し、1993年に運転開始。続く1999年に2 号機も着工して2006年に運転開始しました。

また、今回の能登半島地震の震源地となった珠洲市とその周辺では、1970年代から北陸電力、中部電力、関西電力の3社が原発建設を計画。1984年には現地事務所まで開設したものの、住民の反対運動などにより2003年に計画は凍結されていました。

稼働した志賀原発では1999年6月18日に作業員の操作ミスにより国内初となる臨界事故が発生、それを隠ぺいしていた事実も判明。情報開示の透明性に疑問が指摘されていました。

志賀原発は2011 年の東日本大震災と福島第一原発事故を受け、現在、運転停止中ですが、能登半島地震後も群発地震が続いているだけに、大規模地震と原発事故による複合災害の恐れが憂慮されます。

今回のシンポジウムでは、立石雅昭新潟大学名誉教授、上岡直見環境経済研究所所長、科学ジャーナリストの添田孝史さんからの発言もありましたが、本誌では以下の2人の発言に絞って報告します。


原発設計の最大の脅威は想定外の自然災害


後藤 政志さん(元東芝 原発設計技術者、原子力市民委員会委員)

後藤 政志さん

地震のあと、能登の各地で「地割れ」「地盤の変位」「隆起」が認められています。原発は本来、地盤の安定した場所で建設するのが前提だったはずです。とんでもない場所に志賀原発を建設したということになります。

地震にはいまだに予測できない未知の部分が多くあります。地震によって起きるすべての現象を予測し、(それに対処できるよう)原発はつくられていません。阪神・淡路震災以降、地震には短周期と長周期の揺れがあり、その揺れの違いによってプラントの被害も異なることが明らかになっています。熊本地震では激しい揺れを繰り返しましたが、能登でも大きな地震が繰り返し起きています。

私が原発設計に携っていた頃は、地震の揺れにそれほど厳しく対処する必要はないとされていました。

原発の設計ではさまざまな脅威を想定しますが、「想定していないことが起きる」のが自然災害であり、それが原発にとって一番の脅威となります。

志賀原発では、「敷地内に断層はあるが主断層ではなく、副次的なもの」というのが原子力資料情報室の上澤千尋さんの見解ですが、同時に「将来の地震で敷地内の断層が動く可能性がある」とも述べています。私も同意見です。

最近、私が危惧しているのは、日本社会の忖度という組織・文化です。事故は、自然災害などの外部事象、機器・配管などの故障や機能喪失といった内部事象に加えて、人為的なミス=ヒューマンファクターが重なって起きます。日本社会は忖度が幅を利かす組織・文化となっており、原発の安全神話に影を落とす可能性があります。


珠洲原発がなくてよかった 志賀原発は止まっていてよかった


北野 進さん(珠洲市在住、志賀原発廃炉に!訴訟原告団長)

北野 進さん

地震が起きた日、私は午後から金沢に向かい、直接の被災を免れました。その後、道路が寸断したため4日間珠洲市に戻れませんでした。

今日、私は2つのことを話したいと思っています。1つめは、地震は終息に向かうのか、次の大地震は来ないのか……。そして2つめは、今回の地震で能登は陸路も海路も空路も通行が困難となりました。原発立地では万一の事故に備えた避難計画が大前提となっていますが、避難計画そのものが破綻したと思っています。

私が暮らす珠洲市では3年前から群発地震が続いています。かつて珠洲原発の予定地とされてきた高屋地区や寺家地区もこの群発地震の巣の中にあります。

志賀原発の周辺にはM7.6が予測されている邑知潟南縁活断層をはじめ多数の断層帯が点在しており、北陸電力も認めています。能登はいまも余震が続いています。志賀原発に次の大地震は来ないと言い切れるのでしょうか。

私は震度6弱から6強の余震が続く中、1月5日に金沢市から珠洲市の自宅に自動車で向かいました。道路の補修修復がなされ、なんとか通れるという状態でしたが、随所で亀裂、陥没、隆起などがあり、パンクした自動車が多数放置されていました。各地でかなりの渋滞も続いていました。

いつもは2時間程度で走れる道で7時間かかりました。こんな状況では地震で原発事故が起きたら陸路での避難は困難です。

海路ではどうでしょう。今回の地震では、能登半島の外浦が最大で4メートルも隆起し、主な港湾施設が使えなくなって、海路からも重機や物資の搬入が困難になっています。実は能登空港も滑走路に長さ10メートル以上のひび割れが見つかりました。

地震のあと、能登の住民からは「珠洲に原発がなくてよかった」「志賀原発が止まっていてよかった」という声が多く聞かれます。志賀原発はなんとしても廃炉にしなければなりません。


最悪の事態は避けられたが、原発はこのままでよいはずがない

今回のシンポジウムでは、原子力市民委員会で座長を務める大島堅一龍谷大学教授から以下の6点が指摘されました。

1. 能登半島地震では珠洲市と志賀町などで最大震度7を記録(その後、輪島市も震度7だったと訂正)。志賀町で最大5.1メートルの津波が観測されました。また、能登半島北部で最大4メートルの地盤の隆起が確認されました。地震では約150キロに及ぶ活断層がずれたと見られています。これまでの北陸電力の活断層評価を大きく上回っています。

2.志賀原発が立地する志賀町では最大震度7、志賀原発で震度5弱が観測され、3メートルもの津波の襲来を受けました。原発敷地内では外部電源の一部喪失、変圧器の油漏れ、使用済み核燃料プールの水の飛散、地盤沈下等が発生しました。変圧器の故障による外部電源喪失は原発の冷却機能喪失につながりかねない重大トラブルです。

3.外部に設置されているモニタリングポスト(空気中の放射性物質の濃度を測定する装置)18カ所が使用不可能となりました。これについても原子力規制委員会や内閣府、県市町は予測できませんでした。

4.主要道路が寸断され、港が使用不能になるなど、社会インフラが機能不全に陥りました。原発震災時の避難が極めて困難であることと、事故発生時に機材・人員の増強が容易ではないことを示しています。

5.地震発生後、北陸電力は志賀原発の状況に関する正確で的確な情報を発信できませんでした。原子力規制委員会は、事業者の危機対応能力を厳しく評価しませんでした。

6.原子力災害対策指針とそれに基づく地域防災計画が効果のないものであることが明らかとなりました。原発事故などでは屋内退避を奨めていますが、大規模地震ではそれが危険であるだけでなく、避難先への移動すら満足にできないことが判明しました。


<関連記事>
震災から11年、被災地と被災者に3110本の花を!
東日本大震災から10年。東北から“働く、暮らす、生きる”を問い直す~第9回みちのく復興事業シンポジウから
「2030年から見た東北」シンポジウム」
ありがとう さようなら!石原軍団との別れを惜しむ
障がいのある子どもたちの絵画作品展三菱地所の「キラキラっとアートコンクール優秀賞作品展」
故・中村哲医師の絵本『カカ・ムラド――ナカムラのおじさん』日本語版が発刊
第23回大使館員日本語スピーチコンテスト2020
03-5286ー9090 東京自殺防止センターの取り組み

トップへ
TOPへ戻る